
なかなか咲き始めなかった朝顔が、ようやく数日前から咲き始めました。去年咲いた朝顔から採った種を蒔いて育てました。
去年の今頃は、その朝顔が毎朝次々と咲いて、大きな花をテテと一緒に眺めていました。
1年前の今日、朝6時になる少し前、テテは空へと旅だってゆきました。
あの日から1年経つ日が来るなんて、まだまだ遠い先の事のように思っていたのに、
その日は本当に駆け足で、あっという間に来てしまいました。
緊張しながら、数日前からこの日を待ちました。
テテが空へ旅立ってしまったあの日と同じ日がやってくると思うと、
1年前のあの日の事が鮮明に思い出され、緊張で身体と心が強ばるのを感じました。
7日が来るのが怖かったのです。
テテとの生活が経たれてしまった日。
20年という月日を経た生活。
それは私にとって、私自身の半分が失われたような、大きなショックでした。
でもそれは同時にテテにとって、加齢と慢性腎不全という病気のために思うように動かなくなってしまった重い不自由な体から離れて、軽くなって自由になった体を得たという事でもあるのです。
思う存分駆け回ったり跳び回ったり、ご飯も美味しくたくさん食べる事ができる、
自由な気持ちのいい身体。
「虹の橋」という、空へ旅立った動物達とその飼い主さんの関わり合いを綴った詩があります。
その詩によると、空には雨ばかり降っている場所があり、
その場所にしか住めない動物さん達が居るそうです。
その雨は、飼い主さんが流す涙。
飼い主さんが自分の愛する動物を亡くした事を哀しみ、ずっとずっと泣いたままだと、
その子はその雨の降る場所にずっと住むようになってしまうそうです。
その詩を読んだ時、それでは駄目だと思いました。
自分が流す涙がどんな意味をもつか、初めて分かりました。
自分が流す涙は自分のためだけであって、テテのためにはならない。
自分が流す涙でテテを不幸には絶対にしたくない。
それから、出来るだけ泣かないように努めてきました。
自由になった身体を得たテテを「良かったね」と言えるように、暖かく見守ってあげられるように。
涙ではなく笑顔を見せてあげられるように。
それが、これからの私がテテにしてあげられる事だと、
この一年をかけて、少しずつ思えるようになってきました。
死は終わりではなく、始まりの第一歩だと、
いつか、心からそう思えるようになりたいです。
その時にやっと、テテが空へ旅立った事を、本当に受け入れられるような気がします。
テテはBill Evansの「Waltz for Debby」が好きでした。
ご飯が食べられなくなり、寝たきりになってからも、
この曲をかけると、身体を横にしたまま、長い尻尾をゆっくりと振っていました。
心地良さそうに、ゆらんゆらんと。
テテが空へ旅だってから今日まで、
どうしても「Waltz for Debby」のCDをかけることができませんでした。
そして今夜、一年ぶりに「Waltz for Debby」が部屋に流れました。
私の横では、尻尾をゆらんゆらんと揺らしたテテが、目を細めながら、じっと聴いていました。

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